声優界のレジェンド・林原めぐみさんは、「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイや「ポケットモンスター」のムサシ、「名探偵コナン」の灰原哀など、数々の人気キャラクターを演じてきたことで知られています。
しかし、その数々の華やかな経歴の裏には、看護学校と声優養成所を同時に通い、正看護師免許を取得しながら声優デビューを果たしたという、驚異的な努力の持ち主というエピソードが隠されていました!
中でも、卒業式とアフレコの日程が重なった際、新人ながら異例の「抜き録り」で乗り越えた秘話は、多くのファンの心に残る伝説となっています!
今回の記事では、林原めぐみさんの知られざる卒業秘話を、彼女の歩みとともに詳しく見ていきたいと思います!
林原めぐみは声優アーティストの先駆者!キティちゃんやポケモンのムサシなど吹替多数!

項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 林原 めぐみ(はやしばら めぐみ) |
愛称 | めぐさん、めぐ姉、閣下、食料大臣 |
生年月日 | 1967年3月30日(2025年6月現在:58歳) |
出身地 | 東京都北区 |
血液型 | O型 |
身長 | 155~156cm |
所属事務所 | ウッドパークオフィス |
デビュー年 | 1986年(アニメ『めぞん一刻』幼稚園児役で声優デビュー) |
職業 | 声優、歌手、ラジオパーソナリティ、作詞家(MEGUMI名義)、エッセイスト |
代表作 | 『新世紀エヴァンゲリオン』(綾波レイ)、『ポケットモンスター』(ムサシ)、『らんま1/2』(早乙女らんま)、『スレイヤーズ』(リナ=インバース)、『名探偵コナン』(灰原哀/宮野志保) |
音楽活動 | 1989年~(声優アーティストの先駆者) |
学歴 | 高校卒業後、看護学校を修了し正看護師資格を取得 |
備考 | 声優アーティストという存在を世に広めた立役者。ラジオ「林原めぐみのHeartful Station」「林原めぐみのTokyo Boogie Night」など長寿番組も担当。 |
林原めぐみさんは、1986年の声優デビュー以降、アニメ・ゲーム・映画・ラジオなど多岐にわたるジャンルで活躍し続けています。
「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイ役で一躍時の人となり、その独特の存在感と演技力で、90年代の声優ブームを牽引しました。
代表作には、「ポケットモンスター」のムサシ、「名探偵コナン」の灰原哀、「スレイヤーズ」のリナ=インバース、「らんま1/2」の女らんま、「魔神英雄伝ワタル」の忍部ヒミコなど、世代を超えて愛されるキャラクターが多数あります。
さらに、サンリオの「ハローキティ」4代目声優として33年間も担当し続けたことは、業界内でも異例の長さです。


個人的には「3✕3EYES」の主要キャラで二重人格の「三只眼(さんじやん)」と「パイ」の、「老獪な声」と「ピュアで一途で可愛い声」の使い分けの凄さに、虜になっていました(笑)!
また、林原めぐみさんはアーティストとしても活躍し、アニメ主題歌や自身のラジオ番組テーマ曲など、多くの楽曲やCD等をリリース。
1989年5月に「約束だよ」でシングルCDデビューを皮切りに、91年3月にはシンガーソングライター辛島美登里さん提供の「虹色のスニーカー」を発表。
歌手活動においても、声優がレコード会社と専属契約を結び、本格的で継続的な活動を初めて行ったことで「声優アーティスト」の先駆者となりました!
この事は、声優業界だけでなく、芸能界にも大きなインパクトを与えました!


ラジオパーソナリティとしても長寿番組を持ち、後進の道を切り開いてきました。



筆者は中高生時代、彼女のファンでした!ラジオ「林原めぐみのHeartful Station」や「Tokyo Boogie Night(現在も継続中!)」は視聴しつつカセットに録音もして、何回も聴いていた青春の大きな1ページでした!
CDも持ってて、辛島美登里さん提供の「虹色のスニーカー」、今でも歌えます!(笑)
林原めぐみが看護学校を卒業後に声優を専業にしたのは売れっ子になったから!
▼左の写真が看護学校時代の林原めぐみさんです!▼


https://i.ytimg.com/vi/7R60XDOzIM8/sddefault.jpg (右)
林原めぐみさんは、幼い頃はテレビアニメやドラマの影響で看護師やスチュワーデスに憧れていました。
小学生の時に映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』を観て声優という職業を意識し始め、イベントで不在だった池田昌子さんの代わりに、急遽メーテル役を演じ、野沢雅子さんから称賛されたエピソードも!
高校時代には病気で父親が倒れた経験や将来を考え、現実的な進路として看護師の国家資格取得を目指しました。
看護学校に受験の願書を提出する際、受付を行った担当者の冷たい対応に腹を立てた事がキッカケで声優を目指すことになったと明かしています。
引用元:https://kango.me/c/x385b5m0 kangoより
苛立った彼女は、ストレス発散のために受験期間中は封印していた漫画を解禁し、本屋に立ち寄った所、合格者は無料で養成するという声優オーディションの広告を見つけ、すぐさま応募。300人ほどの当選者から見事選ばれ、声優の道に進みだしました。
声優養成所はアーツビジョン付属日本ナレーション演技研究所で、第1期生の特待生として合格。
この二重生活は、並大抵の努力では続けられないものでした。看護学校の実習や勉強、養成所でのレッスン、アルバイトまでこなす日々。
そんな中でも林原さんは3年間通い、看護師国家試験に合格し、正看護師免許を取得します。そして、声優デビューも同時期に果たし、プロとしての一歩を踏み出しました。
そして、声優業に専念する大きなきかっけが訪れます。
1988年、林原めぐみさんは『魔神英雄伝ワタル』の忍部ヒミコ役で初のメインキャラクターに抜擢。
同時期に他の3本のレギュラー仕事をこなしつつ、看護師として個人病院でアルバイトもしていましたが、監督や先輩声優などの助言もあり、看護師の仕事を辞めて声優業に専念する事を決意しました。
看護師としての知識や経験は、後にラジオ番組やエッセイ、ファンとの交流など、さまざまな場面で活かされています。
林原さん自身も「看護学校で学んだことが、今の自分の土台になっている」と語っています。



小学生の時にメーテルの代役を急遽演じたにもかかわらず、野沢雅子さんから称賛されてたとは恐るべし、ですね!
看護学校の受付の態度が冷たかった事も、今となっては「声優・林原めぐみ」誕生の大きなきっかけとなったのですから、良い思い出ですね(笑)!
林原めぐみは卒業式とアフレコ被ってどうした?新人では異例の抜き録りで解決!
▼大人気アニメ「魔神英雄伝ワタル」のヒミコです!▼


林原めぐみさんの伝説的なエピソードの一つが、「看護学校の卒業式」と「アニメのアフレコ」が同じ日に重なってしまった事件です。
声優デビュー間もない頃、彼女は「魔神英雄伝ワタル」の忍部ヒミコ役のアフレコ現場(第1話)と、看護学校の卒業式が見事にバッティングしてしまいました。
通常、アフレコは全キャストが揃って一斉に収録するのが原則でした。
特に新人声優が個別に録音(抜き録り)するのは極めて異例!
しかし、林原さんは現場スタッフや共演者の理解と協力を得て、卒業式を優先し、その後スタジオに駆けつけて「抜き録り」を行いました。
このエピソードは、林原めぐみさんの「どちらも本気で取り組む!」という誠実な姿と、それを見続けてきた周囲からの信頼、そして何より「どちらも全力でやり遂げたい!」という強い意志があったからこそ実現したものです。
林原めぐみさんは、この経験を「どんな困難も工夫と努力で乗り越えられる」と振り返っています。



いや、新人が別で録音させてもらえるなんて、どんだけ信用されていたんでしょうか?実力もそうですが、普段から看護師も声優も本気で取り組んでいた事が伝わっていたからでしょうね!スゴい人間力ですね!
▼林原めぐみさんが長年の声優として演じてきたキャラの記事です!▼


▼話題の津田大介さんの家族構成などの記事です!▼


まとめ|林原めぐみの学歴や経歴は?看護学校を卒業後に声優になった理由とは?
林原めぐみさんは、看護学校と声優養成所の通学を両立し、正看護師免許を取得しながら声優デビューという、前例のない道を切り開きました。
卒業式とアフレコが重なった際も、新人ながら異例の抜き録りで両方をやり遂げるなど、彼女の努力と情熱、そして周囲の支えがあったからこそ、今の林原めぐみさんがあると言えるのではないでしょうか。
その頃にはレギュラーを複数抱える売れっ子になり、先輩声優や監督などの助言もあり、声優業1本に専念する事を決意しました。
声優・アーティスト・ラジオパーソナリティ等、今も多彩な分野で活躍し続ける林原めぐみさん。
その原点には、看護学校時代から培われた、少々の困難には挫けず、周囲の協力も得て乗り越えていく姿があることが分かりました!
そんな林原めぐみさんの、今後の活躍からますます目が離せなくなりましたね!
それではまたお会いしましょう!
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