最終回まで残り1カ月を切った朝ドラ『あんぱん』。漫画家やなせたかしとその妻・暢(のぶ)をモデルにした「愛と勇気」の物語はどのように生まれ、これからどんなラストに向かって行くのか――。脚本を手掛けた中園ミホ氏(66)が本誌に明かした。
よく、「お産は1人目よりも2人目のほうが、先の痛みやつらさを知っている分、大変」と言いますよね。私は今回が『花子とアン』以来2度目の朝ドラなので、かなり覚悟していたんです。けれどもいざ終わってみると、まだまだ書きたいエピソードがたくさんあるんです。というのも、構想はあったものの、スケジュールの関係で実現できなかったシーンが結構、あったんですね。本当だったらそうしたエピソードはスピンオフでやらせていただけるとありがたいのですが、皆さんお忙しい方ばかりなので……。
今でこそそんなことを言っていますが、実は、今回朝ドラのお話をいただいた時は、お断りするつもりだったんです。前回が本当に大変だったので、「もう無理!」と(笑)。断るつもりで、ドラマ部長とプロデューサーにお会いしたのですが、「誰か書きたい人はいますか?」と聞かれた時に、ふとやなせたかしさんが思い浮かんだんです。昔ボツになっていたので、ダメ元で言ってみたのですが、プロデューサーが、「僕も気になっていたんです」と、やなせさんの本を鞄から取り出した。何か運命的なものを感じましたね。
というのもやなせさんとは不思議なご縁があって。
「やなせさんとは不思議なご縁が……」
私が10歳の時に大好きな父を亡くし、とてもつらかった時、母が買ってきてくれたのがやなせさんの『愛する歌』という詩集でした。その中に、「たったひとりで生まれてきて たったひとりで死んでいく 人間なんてさみしいね 人間なんておかしいね」という詩があったんです。索漠とした内容なのですが、父の死をどう受け止めたらいいか悩んでいた当時の私には、「幸せそうにしているあの人も、私も、父も、みんな1人で生まれてきて、1人で死んでいくんだ」と思えて、逆にすごく救われたんですね。その気持ちを伝えるためにやなせさんに手紙を送ると、当時の郵便事情では信じられないような早さでお返事をいただいて。そこから文通が始まりました。やなせさんは本当に優しい方で、「今お米の値段が上がってるけど大丈夫ですか?」と母子家庭の我が家を心配してくださっていました。
やなせさん
5年ほど文通をしていたのですが、失礼なことに思春期になって私の方からフェードアウトしてしまいました。それが、19歳の時に代々木の交差点を歩いていたら、向こうからやなせさんが歩いていらして、偶然の再会を果たしました。「中園ミホです」と言ったら、やなせさんは大人になった私を見て驚きつつも、このあと出版パーティーがあるから、と誘ってくださって。当時、うちの母は病気で家から出られない状態だったのですが、そのことをやなせさんに伝えると、「そういうことは早く言いなさい」と、近くの公衆電話から母に電話をかけて一生懸命励ましてくださった。だから私は父が亡くなった時と、母が病気の時の2回、やなせさんに救っていただいたんです。
千尋はアンパンマン、次郎さんは
男性主人公の朝ドラもありますが、NHKから、今回は女性ヒロインでとの提案があったので、やなせさんの妻・暢さんをモデルにした女性を主人公にすることが決まりました。でも、調べてみると暢さんの資料はあまり残っていなくて。子どもの頃「ハチキンおのぶ」「いだてんおのぶ」と言われた気の強い女の子だったこと。やなせさんとは高知新聞で出会ったこと。高知新聞の広告費の取り立てに行って、払わない店主にハンドバッグを投げつけたこと。取材で上京した時におでんを食べてみんながお腹を壊す中、男性に気を遣って大根しか食べていなかった暢さんだけ、無事だったこと。やなせさんが三越デパートを辞めて漫画家一本でやっていきたいと言った時、「私が働いて食べさせる」と言ったこと。この5つくらいのエピソードしかありませんでした。あとは、やなせさんご自身も仰っているように、ドキンちゃんのモデルであるということでしょうか。
のぶ役の今田美桜
実は私は今回、すべての登場人物にアンパンマンのキャラクターを当てはめています。長い執筆を乗り切るためにも、何か楽しみが欲しい――。そう思って、自分だけの密かな喜びのために始めたことでした。
羽多子(江口のりこ)さんがバタコさん。蘭子(河合優実)がロールパンナちゃんで、メイコ(原菜乃華)がメロンパンナちゃん。釜次(吉田鋼太郎)と和尚(斉藤暁)と饅頭屋(小倉蒼蛙)さんのトリオは、かまめしどん、てんどんまん、カツドンマンでいつも3人一緒にいる。くらばあは、演じる浅田美代子さんの雰囲気から、おくらちゃんという野菜好きな天然キャラ、豪(細田佳央太)ちゃんは無口なキャラクターにしたかったので、ハロウィンマン。他にも、高知新報の東海林編集長(津田健次郎)はショウガナイさん、同僚の岩清水(倉悠貴)くんは、しめじまん……と、とにかく登場人物全員にキャラクターがついています。「よくキャラクターを知ってるね」と言われるのですが、子どもが幼い頃、たくさん一緒に見ていたので、記憶に残っていたんです。
あくまで自分の楽しみだったので、初稿にだけ役名の横に括弧で小さく(ドキンちゃん)などと書いていたものの、皆さんにお配りした台本には載せていなかったんです。でも、顔合わせの時に、「ヤムおんちゃん(阿部サダヲ)はどう見ても、ジャムおじさんですよね」と言われたので正直に、「実は私はこっそり皆さんをアンパンマンのキャラクターに当てはめています。もしどうしても自分が何のキャラか知りたい人は、私に聞きに来てください」と、皆さんにお伝えしました。
締切に追いかけられる執筆を少しでも楽しくするために始めた遊び心の裏設定でしたが、視聴者の皆さんも楽しんでくださっているのは、嬉しいですね。
一番、聞かれるのは嵩(北村匠海)ですが、嵩はやなせさんだから特にキャラクターは当てはめてはいないんです。だけど強いて言うなら、ばいきんまんですよね。ドキンちゃんのことが大好きだから。それに、やなせさんは明るくて朗らかな方だけど、コンプレックスが強くて、ご自分のエッセイにも赤裸々にそのことを書いているんです。当時所属していた漫画家集団で1人だけこれといった代表作がない。そしてうんと年下の天才・手塚治虫にどうやっても敵わない……。ドラマでも、弟の千尋(中沢元紀)や先立ってしまったのぶ(今田美桜)の夫・次郎(中島歩)さんに強いコンプレックスを抱いて、なかなかのぶに思いを伝えられなかった。ちなみに、千尋はアンパンマン、次郎さんはしょくぱんまんをイメージしています。
嵩役の北村匠海
正直、嵩をかなりへなちょこに書いてしまったので、これでよかったのかな、やなせさん怒ってないかな、と不安になることもありました。けれど、脚本を書き始める前に取材させていただいたノンフィクション作家でやなせさんの元で働いていた梯久美子さん、そしてアンパンマンの声優を長年務められている戸田恵子さんが、放送を見てそれぞれ「やなせ先生、すごく喜んでると思う」と言ってくださったので、とても励まされました。ちなみに、戸田さんは代議士の薪鉄子としてドラマにも出演していただきましたが、脚本を読んですぐに「てっかのマキちゃんね!」とお気づきになっていました。
中園氏の印象に最も強く残ったのが、東京に駆け付けた嵩がのぶにようやく思いを伝えたシーン。
「何者にもなれなかった女性」
のぶが駆け寄って、「嵩の2倍、嵩のこと好き!」と言って抱きつくシーンを見た瞬間、自分でも戸惑うくらい涙が溢れてきました。
これまでいろいろなものを背負ってきたのぶが、ようやく本来の「ハチキンおのぶ」に戻ったんだと思うと、嬉しくて。のぶが手に持った赤いハンドバッグの蓋が開いている演出も、それまで自分を押し込めていた彼女が、外の世界へ飛び出していくことを表しているようで、素敵でした。
中園さんが最も印象に残ったシーン
今回、監督とは最初から「やなせさんを描くことは戦争を描くこと」と意見が一致していたので、「長い!」と周囲から言われながらも、しっかりと戦争を描かせていただきました。その戦争中、のぶがどう生きたかを考えた時、当時の教育を受けた女性はほとんど軍国教育に染まっていた。だからのぶも軍国少女として描いたのですが、この期間は書いていて苦しかったですね。
特に豪ちゃんが戦死した時、「立派やと言うちゃりなさい」と、豪ちゃんの婚約者で妹の蘭子に向かって言うシーンは、今田さんも演じるのがとても大変だったのではないかと思います。そうやって9週くらいずっと体制側の人を演じたと思ったら、敗戦で正義がひっくり返って、自分を塗りつぶさなきゃいけなくなる。そしてようやく嵩と結ばれた後は、何者にもなれなかった自分と向き合わなくてはならなくなる……。本当に難しいヒロインだったと思います。
この「何者にもなれなかった女性」というのも、最初からこの作品で描きたいテーマでした。当時の女性には、働きながら夫を支えていくか、仕事一筋で自立するか、いいお母さんとして家庭を守るか、大きく3つの道しかなかったと思うんです。それを三姉妹で表した時、家庭に入ったのがメイコ。そして筆一本で自立するのが蘭子です。実は、蘭子は向田邦子さんを一部イメージして書きました。向田さんは私が最も尊敬する脚本家の1人ですが、実は彼女が初めて脚本を書くきっかけを作ったのは、やなせさんだったんです。おふたりは向田さんが映画雑誌の編集者時代に知り合い、お互いの才能に惹かれ、尊敬しあう仲でした。そんな向田さんをイメージした女性をぜひ出したいと思っていたところ、蘭子が映画好きで文章を書くキャラクターに育っていったので、その役割を担ってもらおうということになりました。蘭子を演じる河合さんには監督を通じて、向田さん的なキャラクターになっていくので、私のバイブルでもある、『手袋をさがす』という向田さんのエッセイを読んでほしいということを伝えていただきました。
向田邦子さんを一部イメージして書かれた蘭子
一方で暢さんも、史実の数少ないエピソードからも分かるように、活発で教養もあり、男性ともバリバリ張り合える、あの時代には稀有なエネルギッシュな女性でした。最初のご主人が亡くなってたった8日目で高知新聞の就職試験を受け、お勤めする中で議員の秘書にスカウトされて、その秘書を辞めた後も別の会社にお勤めして。きっと何者かになろうと、必死でもがいていたんだと思うんです。でも気づいてみたら、夫であるやなせさんを支える立場になっていた……。これが当時の女性が置かれた現実だったのだと思います。
今田さんの見事な座長っぷり
21週では、のぶが嵩に向かって、「精一杯頑張ったつもりやったけど、何者にもなれんかった。そんな自分が情けなくて、世の中に忘れられたような、置き去りにされたような気持ちになるがよ」と泣きながら話すシーンがあります。実はこの台詞、私の友達が同窓会で溢した言葉を使わせてもらったんです。きっと本物の声だから、多くの人の心に響いたのでしょう。びっくりするほど反響が大きく、「のぶは私だ」という人がたくさん現れました。みんな胸を張っていい素晴らしい女性たちなのに、どこかのぶと同じ思いを抱えている。改めて女性が社会と繋がっていくことの難しさを感じました。
朝ドラらしからぬ女性で言うともう1人、松嶋菜々子さんが演じた嵩の母・登美子がいます。やなせさんのお母様はいつも派手な着物を着て香水の匂いをさせていて気が強かったそうですが、やなせさんはそんなお母さんのことが大好きだった。結婚も3回、一説には4回していたそうで、朝ドラに出てくるお母さんとはかなりかけ離れた人物像ですが、私はこのキャラクターになら、この時代に女性が言いたくても言えなかった本音を託せると思ったんです。
松嶋菜々子は嵩の母・登美子役で存在感
「こんなお母さん、誰も見たくないですよ!」なんて言われて落ち込んだこともありましたが、松嶋さんが監督を通じて、「私にお気遣いなく、この路線で行ってください」と言ってくださったので、貫くことができました。松嶋さんご自身がきれいごとを言って取り繕ったりしないからこそ、登美子の言動に説得力が生まれたのではないかと思っています。
本当に役者さんの役作りには、頭が下がるばかりです。特に感動したのが、スタジオに行くといつも今田さんと北村さんが前室という待機場所にいたことです。長い撮影期間中、ずっと人前にいるのは疲れてしまうので、普通は自分の楽屋に帰るもの。1人で休みたい日も、集中して台詞を覚えたい日もあったと思うんですが、今田さんはいつも北村さんの隣にいて、ニコニコと笑い合い、嵩とのぶらしい空気感を作ってくださった。本当に見事な座長っぷりでした。
残すところ20話を切った『あんぱん』。のぶと嵩の物語は、どんなラストに向かって行くのか。
1話を書き始めた日から、毎日、この物語をどこで着地させようかということは考え続けてきました。130話を書く中で、毎回「これがいいかな」というアイデアが浮かぶので、100通り以上のラストを考えたと思います。一度、心に決めたラストではかなり晩年まで描いたのですが、いろいろな方の意見を取り入れてまた形を変えて。
94歳で亡くなるまで現役で漫画家として活躍されたやなせさんですが、アンパンマンでブレークしたのは69歳と、遅咲きでした。長い長い夫婦の苦労が報われて、アンパンマンが高く遠く飛びたつところをぜひ見届けていただきたいと思います。
f物語はいよいよクライマックスへ
よく皆さんに聞かれるのが、ヤムおんちゃんの行方。実は、ヤムおんちゃんはアンパンマンのキャラクターたちがそうであるように、“妖精”という設定。だから1人だけあまり年を取らないんです。そんな“妖精”のヤムおんちゃんのことですから、きっとまた皆さんの前に姿を現すでしょう。

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