上方落語界の名跡を受け継ぎ、人間国宝の父を持つ桂米團治さん。
その家庭は芸の世界で二世三世にわたるドラマに満ちており、とりわけ母・中川絹子(芸名:駒ひかる)さんは戦前戦後の大阪松竹少女歌劇団OSKのスター出身。
美貌と知性あふれる婦人として芸能界でも伝説的存在となっています。
今回の記事では、桂米團治と桂米朝親子のプロフィール、母・絹子さんの華やかな経歴、そして米朝一門を影で懸命に支えた「桂米朝一門の母」の舞台裏まで詳しくご紹介します。
桂米團治の家族構成!父親は桂米朝で母親は中川絹子で弟が2人いた!


桂米團治さんは桂米朝さんの長男であり、芸を受け継ぐ落語家一家。
弟たちも文化・音楽界で活躍しています。
【画像】桂米團治の母親は中川絹子!元OSK団員で芸名は駒ひかるでかわいい!

▼男役のスターだったから?歌舞伎メイクの「駒ひかる」さん!▼

人間国宝・桂米朝の妻である中川絹子氏の半生は、華やかな芸能の世界とともにありました。
戦前は「駒ひかる」の名でOSK(大阪松竹歌劇団)に所属し、数年間舞台で活躍。
戦後は「駒ひかるとミリオンショウ」を結成し、米軍キャンプなどでショー活動を行う中で、後の夫・桂米朝と出会い結婚しました。
日本舞踊の名取としても知られ、自宅で教室を開くだけでなく、米朝の弟子たちにも所作や礼儀、舞踊を指導したと伝えられています。
結婚後は芸事のプロを陰から献身的に支える“上方落語の母”としても親しまれました。
▼朝ドラ『ブギウギ』大和礼子役のモデルでOSK飛鳥明子さん写真!▼

【画像】中川絹子は桂米朝の嫁(妻)!米朝一門の弟子の世話を一手に担っていた!

米朝師匠が復興に尽力した上方落語界では「駒ひかる」こと絹子夫人が、家庭も弟子も一手に采配。
一門13名にのぼる弟子たちの食事や生活面をすべてサポートし、時には芸に悩む若手落語家を叱咤激励、また家庭的な温かさで多くの弟子たちを“もう一人の母”として見守りました。
弟子の桂米團治(息子)をはじめ、桂ざこば・桂雀三郎・桂南光など錚々たる落語家を“家族”として育てつつ、昭和〜平成を通じて米朝一門が芸の頂に立つ礎となった存在です。
OSKスター時代の美しい写真や舞台エピソード以外にも、“米朝一門の母”としての裏方人生は、舞台『なにわ夫婦八景』などで多くの人に感動を与えています。
▼桂米團治の嫁(妻)は由紀子で年齢60代!若い頃の着物やドレス姿など!▼

▼桂米團治の娘は中川ゆかりでかわい!年齢30歳で新垣結衣に似てる美人!▼

まとめ|桂米團治の家族構成!母親の中川絹子は元OSK団員で芸名は駒ひかるでかわいい!
桂米團治さんの家庭は、人間国宝を父に、元OSKスターを母にもつ「上方芸能一家」。
桂米團治さんの家族は、父・桂米朝(人間国宝)、母・中川絹子(OSK出身の男役スター「駒ひかる」)、弟2人、そして自身とその家族で構成されていました。
母・中川絹子(駒ひかる)さんは舞台で美しく輝いた後、落語界の賢母、陰の主役として一門すべてを支えました。
その温かな家庭力と芸事への思いは、父から子へ、落語界全体に今も受け継がれています。
今もなお、上方芸能や関西文化の宝と言えるのではないでしょうか。
脈々と受け継がれてきた上方落語の名門「桂米朝一門」の流れを、「落語+オペラ=らくごぺら」など、より業界を発展させ続けている五代目・桂米團治さん。
これからの活躍や動向から、ますます目が離せませんね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。
それではまたお会いしましょう!


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