日本サッカー界のシンボルとして名を刻んだ「サッカー界の伝説(レジェンド)」釜本邦茂さん。
1968年メキシコ五輪での銅メダル、歴代最多の得点記録、そして指導者や政治家としての活躍──その人生はまさに日本スポーツ史の金字塔です。
しかし、その輝かしい経歴の裏には、妻や家族との深い絆、病との闘い、そして人としての温かな素顔がありました。
今回の記事では、釜本邦成さんの「伝説」と、人間味あふれる彼の生涯を詳しく辿っていきたいと思います。
釜本邦茂は伝説のメキシコオリンピック銅メダルのサッカー選手!

釜本邦茂は身長181cmで背番号51で血液型はB型!
項目 | 内容 |
---|---|
氏名 | 釜本邦茂(かまもとくにしげ) |
生年月日 | 1944年4月15日(2025年8月10日:没(享年81歳) |
出身地 | 京都府京都市右京区太秦 |
学歴 | 京都府立山城高校 → 早稲田大学 |
ポジション | フォワード |
主な所属クラブ | ヤンマーディーゼル(現・セレッソ大阪) |
主な代表歴 | 日本代表(1964年東京オリンピック出場/1968年メキシコオリンピック銅メダル・得点王) |
国内リーグ成績 | 251試合出場/202得点/通算79アシスト(どれも歴代1位) |
代表成績 | 国際Aマッチ76試合75得点(JFA記録)、通算231試合153得点 |
タイトル・記録 | 日本リーグ得点王7回/アシスト王3回/年間優秀選手賞14回/日本年間最優秀選手賞7回 |
指導・特技 | ヤンマーディーゼル選手兼監督(1978~1984)、松下電器(現・ガンバ大阪)初代監督 |
政治活動 | 自由民主党参議院議員(1995年~2001年/1期)、労働政務次官など歴任 |
協会役職 | 日本サッカー協会顧問、副会長など |
受賞・殿堂 | 2005年第1回日本サッカー殿堂入り |
趣味 | ゴルフ、時代劇鑑賞 |
座右の銘 | 己に剋つ |
釜本邦茂(かまもと)くにしげ)は、1944年4月15日京都府生まれ、日本サッカー史に輝く伝説のストライカーです。
1968年メキシコオリンピックで7得点の活躍により日本代表を銅メダルへ導き、自らもアジア人初の大会得点王となりました。
また、ヤンマーディーゼル(現セレッソ大阪)で活躍し、日本サッカーリーグでは通算251試合出場、202得点、79アシストの歴代1位記録を持ちます。
日本代表としては国際Aマッチ76試合75得点と、いずれも男子最多得ポイント記録保持者。
右45度から繰り出される正確なシュートと、どの角度からでも得点できる万能型フォワードでした。
「世界に広がる日本人ストライカー」という称号とともに、プロ指導者・政治家・解説者としても長年活躍しました。
【画像】釜本邦茂の妻は修子!なれそめや子供や結婚生活はどうだった?

釜本邦茂さんの妻は修子(しゅうこ)さんです。 なれそめや結婚した年月は公には明かされていませんが、釜本さんが語るエピソードによると「妻なしでは生活できなかった」とのこと。
釜本さんは、家のことをすべて修子さんに任せきりで「家のどこに何があるか分からなかった」「ましてや食事の準備なんて全くできなかった」というほど。
自分ができる家事は、妻よりも先に起きて「植木に水をやる」「新聞を取ってくる」「水割りに氷を入れる」程度だったそう(苦笑)。
釜本邦茂さんの嫁の修子さんは、家庭を切り盛りしていただけではなく、社交的な人柄だったそうです。
サッカーでは、その身体能力を活かし、優秀な成績を収めた釜本邦茂さんですが、性格的には人見知りがひどく、人の輪の中になかなか入っていけなかったそう。
そういった苦手な部分を、妻の修子さんに、事あるごとにずいぶんサポートしてもらったのだとか。
また、釜本邦茂さんはJリーグ草創期にガンバ大阪の監督に就任しましたが、その時代には心労が絶えず、なかなか大変だったようです。
釜本邦茂さんは、そんな修子さんへの深い感謝の念が絶えなかったようで、お互いにできない事も支え合う、とても良好な夫婦関係を築かれていた様でした。
【画像】釜本邦茂に息子や娘や子供はいた?孫もいて何人なのか家族構成も!
釜本邦茂の家族構成とは?妻(嫁)と子供と孫もいて何人なの?
▼京都の舞妓さんとのツーショット!孫娘さんではありません(笑)▼
釜本邦茂さんの子供(息子/娘)に関しては詳しい情報はありませんが、家族構成は公表されている範囲で調査してみると
となっています。
2016年の日本経済新聞「私の履歴書」によると、「現在の楽しみは孫娘2人の成長」と書かれていました。
お孫さんの名前は「梓(あずさ)」と「望(のぞみ)」さん。
2019年8月11日号の「NEWSポストセブン」によると、上の孫娘は司法修習生、下の孫娘は銀行員として社会人になっているとの事。
どちらのお孫さんも、充実した人生をしっかり送っているようです。
釜本邦茂の家族にまつわる病気のエピソード:喉頭がんの発見から退院まで
釜本邦茂さんは、2014年春、70歳を迎えた頃に咽頭がんを患っていたといいます。
.その経過は、以下のようなものでした。
ある日のこと、孫娘より、
「じいじの声、なんか変じゃない?いつもと違ってるよ」
と告げられたそう。しかし釜本邦茂さんは、寒い中でサッカー教室を開き大声を張り上げていたため、一時的なものと考え、深く取り合りあいませんでした。
それから一か月後、再び孫娘より同じ指摘を受け、この時釜本氏は、確かに声が出ないままで、しかも細くて不明瞭な話しぶりしかできなくなっていることに気づいたとの事。
そこで大阪市内の病院を受診したところ、「口腔白板症」と診断されました。
咽頭のポリープを取り除かなければいけません、と医師に言われたことから、手術を受けることとなります。
そして無事に手術が終わり、切除した患部を示されながら、釜本氏は大いに安堵したそうです。
「これで一件落着ですね」
と釜本さんは述べましたが、医師からはこう告げられました。
「一年後にはポリープが再び現れる可能性があります。釜本さん、いかがされますか?」
これに対し、釜本氏は、
「いかがなされますかとは、先生、これより先はどうすればよいのでしょう?」
と不安をぶつけてみると、医師は、
「それでは放射線治療を実施しましょう」
と答えました。さらに釜本氏が、
「放射線治療とは、ひょっとして癌なのでしょうか?」
と尋ねると、医師は、
「はい、癌ですよ」
と告げたといいます。こうして釜本さんは、2014年9月から咽頭がんの放射線治療を開始しました。
その後の詳しい経過は公表されていませんが、釜本さんは毎日1時間の散歩や軽い筋力トレーニングを続け、健康管理に努めた結果、無事に回復しました。

お孫さんと仲良く過ごされていたからこその、早期発見と早期治療ができたんですね!孫娘さんは、命の恩人でサッカー界をも救った「レジェンド」なのでは?!
釜本邦茂の病気は誤嚥性肺炎からの肺炎で2025年8月10日に逝去!
しかし、2023年9月頃から誤嚥性肺炎で入院し、2024年秋には手術を受け一時的に回復したものの療養生活が続きます。
2025年6月中旬に再び容体が悪化し、2025年8月10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため81歳で逝去されたと、Jリーグが訃報を発表しました。
なお、お通夜・告別式は近親者のみで行われ、後日「お別れの会」が開催される予定との事。
このように、釜本邦茂さんの人生は、サッカー史だけでなく、家族との深くあたたかい絆があるという事がわかるエピソードをご紹介しました。
伝説のストライカー「釜本邦成」は、家庭でも温かい人柄で愛されていた存在でした。
まとめ|釜本邦茂の妻(嫁)や息子など家族構成!そなれめや娘と孫が2人いた?
日本サッカー史にその名を残した「伝説の」ストライカー、レジェンドの釜本邦茂さん。
競技人生だけでなく、妻の修子さんと築かれたあたたかな家庭や孫娘2人への愛情、病気を乗り越えた姿は、人としての温もりの大切さを強く教えてくれました。
家庭的な一面もあり、みんなで支え合う夫婦や家族の姿が釜本ファミリーに有った事もわかりました。
釜本邦成さんの、 晩年の闘病も家族との絆で乗り越え、最後までその人生を全うした釜本邦茂さん。
サッカー好きはもちろん、多くの人の心に残る人物であり続けるでしょう。
あらためて、ご冥福をお祈り申し上げます。
それではまたお会いしましょう。
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