芸能界で長く愛され続けている、SUPER EIGHT(旧関ジャニ∞)メンバーの丸山隆平さん。
明るくお茶目なキャラクターで知られていますが、その裏には複雑な家庭環境や母親との深い絆がありました。
2025年5月16日放送の「A-studio」でも語られた、彼の生い立ちや母親とのエピソードをもとに、丸山隆平さんのアイドルの原点にも迫ってみたいと思います。
丸山隆平はSUPER EIGHTのベース担当で映画や舞台の俳優も!
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 丸山 隆平(まるやま りゅうへい) |
生年月日 | 1983年11月26日(2025年5月現在:41歳) |
出身地 | 京都府京都市 |
身長・血液型 | 175 cm・A型 |
職業 | 歌手、ベーシスト、俳優 |
ジャンル | テレビドラマ、映画、演劇、バラエティ番組 |
活動期間 | 1996年〜 |
所属事務所 | STARTO ENTERTAINMENT |
所属グループ | SUPER EIGHT(旧関ジャニ∞) |
ニックネーム | まる、まるちゃん |
メンバーカラー | オレンジ |
ジャニーズ入所日 | 1996年9月22日 |
主なテレビドラマ | 『自転車少年記』『歌のおにいさん』『フリーター、家を買う。』『ストロベリーナイト』シリーズ、『地獄先生ぬ〜べ〜』『着飾る恋には理由があって』など |
主な映画作品 | 『ワイルド7』『エイトレンジャー』シリーズ、『ストロベリーナイト』『泥棒役者』『金子差入店』など |
主な舞台 | 『ギルバート・グレイプ』『マクベス』『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』『浪人街』など |
情報番組 | 『サタデープラス』(2015年~2023年) |
ラジオ番組 | 『関ジャニ∞ 村上信五と丸山隆平のレコメン!』 |
丸山隆平さんは1983年11月26日生まれ、京都府京都市出身。1996年、13歳の時にジャニーズ事務所のオーディションに合格し、関西ジャニーズJr.として活動をスタートしました。
2002年、関西ジャニーズJr.のメンバーで「関ジャニ8」(のちの関ジャニ∞、現SUPER EIGHT)を結成。2004年にCDデビューを果たし、グループのベース担当として音楽活動の中心に立ち続けています。
また、丸山さんは俳優としても高い評価を受けており、ドラマ『フリーター、家を買う。』や『ストロベリーナイト』シリーズ、映画『ワイルド7』や『泥棒役者』、舞台『ギルバート・グレイプ』『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』など多くの作品で主演・重要な役を務めてきました。
バラエティ番組や情報番組『サタデープラス』のMCとしても親しまれてきて、明るくムードメーカー的な存在感はグループ内外問わず多くの人に愛されています。
【番組内容】丸山隆平の母は幼い頃に父と離婚!我が子の生い立ちの秘密とは?

丸山隆平さんは、3歳のときに両親が離婚し、母親とは離れて暮らしていました。
アイドルという仕事柄、ファンと夢を分かち合うことを大切にしてきたため、自分の生い立ち等の現実面については、これまで公表していませんでした。
しかし、鶴瓶さんから「長年アイドルを続けてきてるんやし、そろそろ(丸山の過去も)見せていいんちゃうん?」と背中を押されたこともあり、今回の番組で初めて詳しい生い立ちを語りました。
番組には、丸山さんの信頼するマネージャーの後押しもあり、母親と妹がゲストとして(収録VTRで)登場しました。

丸山さんは20歳でメジャーデビューし、そのときの握手会で17年ぶりに母親と再会しました。それまで母親とは全く連絡を取っていませんでしたが、母親は田原俊彦さんのファンで、かつては追っかけをしていたそうです。
丸山さんがジャニーズ事務所に入所したのは12歳のとき。関西ローカルのテレビ番組に出演した際、商店街をまっすぐ走る子供をテレビ画面で見て、母親はすぐに丸山さんだと気づいた、と話していました。
丸山さん自身も「どこかで母親が見てくれているかもしれない」という思いで芸能活動を続けていたと語りました。

両親が離婚したとき、丸山さんは「絶対に会いに行くから」と母親に言ったそうですが、本人にはその記憶は無かったそうです。
また、両親が喧嘩していたとき、母親が丸山さんを抱えていたのを父親に引きはがされ、(丸山さんの)靴が一個落ち、そのまま母親が去っていった場面は覚えていたそう。
また、母親の顔は覚えていませんでしたが、使っていたシャンプーの匂いは記憶に残っていたといいます。
ある雑誌の取材で「好きな女性のタイプは?」と聞かれると「黒髪で長い人」と答えていたのは、再会した母親の姿が無意識に影響していた、と気づいたそうです。
そして、Zepp大阪での握手会の際、素性を隠して参加していた母親が、感極まって思わず「お母さんやで」と声をかけたそう。
当時は炎天下で、ファンの熱中症対策もあり忙しくしていて、全く母親を認識できず、きちんと再会することはできませんでした。
その後、父親から「お前、お母さんに会ってきたやろ?」と言われ、秘かに連絡しあっていて、丸山さんの情報をある程度は共有していた事が分かりました。
そこから母親の連絡先を聞き、20歳のときに17年ぶりの再会を果たしました。
長い間会っていなかったものの「母親の目の中に優しさを感じた」と振り返っています。また、母親も会えなかった間、毎日丸山さんの住む方向に向かって健康を祈っていたそうです。
丸山さんのギャグが滑るのは母親譲りとのこと(笑)。ある時に車でドライブ中にしょっちゅう滑るギャグをしゃべり続ける母親を見て「うわぁ、オレもあんな感じやねんや!(苦笑)」と感じたエピソードも語られました。


母の日には毎年プレゼントを贈っていましたが、最近はLINEのメッセージになってきているそうです。
2015年から8年半続いた『サタデープラス』の生放送がある朝には、母親が毎回「おはよう」とLINEを送っていたそうです。丸山さんのテンションが低い時には、返事をしないこともあったと明かしました。
丸山さんいわく「どこかで母親に甘えていたんやろね。遅れてきた反抗期みたいなんかも知れない」と語り、鶴瓶さんが暖かく見守っていました。
また、個人マネージャーとは最近出会ったばかりですが、丸山さんのことをよく理解し、信頼できるビジネスパートナーだと語っています。
マネージャーから「自分はあなたに出会うために、これまでいろんな経験をしてきたんだと思った」と言われ、とても嬉しかったと熱い涙を流しながら話していました。
余談ですが、丸山隆一さんの実母の今のファンは、司会の藤ヶ谷太輔さん(Kis-My-Ft2)のファンだそうで、妹はSUPER EIGHTの安田さんの大ファンとの事。
丸山隆平の「2人目の母」が語る彼のアイドルの原点とは?

丸山隆平さんがジャニーズ事務所に入ったきっかけは、実は再婚した母親の強い思いがあったからです。
もともと芸能界に興味がなかった丸山さんですが、母親が「この子が一生懸命になれるものを見つけてほしい」という願いから、社会勉強も兼ねてジャニーズ事務所に履歴書を送りました。
1回目のオーディション後、合格の連絡がなかったため「落ちた」と思い込んでいた丸山さん。しかし、父親が「まだいけるやろ」と2回目の履歴書を送り、再びチャンスが巡ってきます。
家族の後押し、特に母親の涙や励ましが、丸山さんの「頑張ってみよう」という気持ちを強くしたといいます。
▼色んな番組で子どもたちと接する丸山隆平さん、愛情があふれまくってますね!▼

彼の優しさや責任感、そして周囲を明るくするキャラクターが育くまれたのは、お互いを思いやる暖かい家庭を作ってきたからではないでしょうか?
また、丸山さんが中学卒業後に進学した高校は私立で学費も高額でしたが、「これ以上親に迷惑をかけられない」と自分に誓い、3年間無遅刻無欠席で卒業しました!
家族思いの一面が垣間見える、素敵なエピソードですね!
▼すばる君や錦戸亮くんもいた頃のショット!仲良さそうですね!▼

実母へ活躍した姿を見ていて欲しいという思いと、再婚した母親の愛情と支えが、丸山さんのアイドルとしての原点であり、今の明るさや前向きさにつながっている事を感じさせてくれるエピソードでした!

もともとエエ子やなぁって思ってたけど、家族思いで周りにもめっちゃ優しい彼のエピソードに、もう涙が出てきて仕方ありません(涙)
まとめ|丸山隆平の母親は幼い頃に離婚!彼の生い立ちの秘密とアイドルの原点とは?
丸山隆平さんの明るさ、優しさ、そして芸能界での成功の裏には、離婚した母親の、離れて暮らしていても深い愛情が在った事が分かりました。
幼い頃の両親の離婚、父親や再婚した母親の「何か夢中になれるものを見つけて欲しい」という思い、実母へアイドルとしての活躍を見て欲しい――このすべてが、丸山隆平さんの人間性やアイドルとしての原点を作り上げた事が伝わってきましたね!
「A-studio」で明かされた丸山隆平さんの家族のエピソード。一概には言えない複雑な思いを抱えながらも、丸山隆平さんが懸命に活動し、実母にも再婚の母にも、立派な姿を届けられた事が伝わってきました。
視聴者に多くの感動を与え、様々な形であっても「家族の絆」は大切なんだと、改めて考えさせてくれました。
これからも丸山隆平さんが、母親への感謝を胸に、SUPER EIGHTのメンバーとして、そして俳優・タレント・ミュージシャンとして、さらに活躍される事を期待しています!
これからの丸山隆平さんの行方から、ますます目が離せませんね!
それではまたお会いしましょう!
コメント