「やるべしたら!」の一言で一躍ブレイキングダウンの人気者になった竜こと佐藤竜さん。
リングでは尖ったキャラですが、リングを降りると北海道・札幌で空調設備会社を切り盛りする“社長ファイター”という一面を持っています。
今回の記事では、佐藤竜さんのプロフィール、札幌の空調設備会社・FUJI工業株式会社の実態、そして若くして急逝した兄の志を継いで会社を引き継いだ背景まで、画像情報も交えながら分かりやすくまとめます。
佐藤竜(やるべしたら竜)のwiki経歴!年齢27歳身長170cmで4人兄弟の末っ子!

10代の頃は足場鳶からスタートして21歳の時に設備に出逢って、駆け出して6年。請ける側から発注側へ 何せよまた新しい戦いと失敗の連続だなぁ。メンテナンスと施工を学んだから次は設計と営業ですね。
引用元:https://www.instagram.com/p/DNztuqg5N7J/?img_index=1 インスタグラム2025年8月28日の投稿
頑張るべしたら
ブレイキングダウンでの主なトピック:
- 北海道予選で「やるべしたら!」の一言と激しい打ち合いで注目。
- オーディションや対抗戦を経て、ひな壇選手としても登場し、たびたびカードに抜擢される存在に。
- BD18の試合前日の計量後の記者会見の席で、相手選手から不意打ちの張り手見舞われ、頭部に強いダメージを負い、その後に症状が悪化して緊急搬送されたことがニュースに。
- 幼少期は両親ともに子供に対して激しく辛く当たり散らし、10代前半まで留置所と家との往復が続くなど、荒れた生活を送りました。
- しかし、15歳頃に「このままでは先がない」と気づき、仕事と格闘技に真剣に向き合うようになったというエピソードが各種インタビューで語られています。
- 現在は、「リングで有名になり、その影響力で自分と似た境遇の子どもたちを支えたい」という目標を掲げ、格闘家と経営者の二つの顔を持つ存在として発信を続けています。
先のトピックでも触れましたが、佐藤竜さんは非常に厳しい家庭環境で過ごし、警察のお世話に何度もなり、留置所との往復を何度も繰り返すような、荒れた生活を繰り返してました。
そんな竜さんにとっての人生の転機は、15歳のときに訪れます。同世代の平野歩夢さん(スノボ選手)がオリンピックで銀メダルを獲得した試合を、テレビ越しに目にしたのです。
年齢の近い平野歩夢はオリンピック銀メダリスト、自分は留置所ながらその映像を見ている。
「この差は一体何なのか」と自問するうちに、「もし自分の環境が少し違っていたら、自分もオリンピックを目指せたのではないか」と気づき、竜さんは強烈なショックを受けました。
それをきっかけに「このままでは将来何も残らない、立ち直らなければ」と思うようになり、新しい生き方を真剣に探し始めます。
亡くなった兄たちについても「明確な目標がなかったことが本当にもったいなかった」と振り返り、「地道な積み重ねこそ成功への一番の近道だ」と考えるようになりました。
また、朝倉未来さんの存在にも刺激を受け、「本当に強さを武器に格闘技で生きていく人がいるんだ」と、その道の可能性にも目を開かされます。
今の竜さんは、「有名になって影響力を持てば、その先に自分たちのような境遇の後輩たちがいる」と考え、かつての自分と同じような子どもたちを救いたいという明確な目標を抱いています。
【画像】ブレイキングダウン竜の会社はどこ?北海道札幌のFUJI工業で空調設備会社の社長!

次に、多くの人が気になっている「竜の会社」について見ていきましょう。
結論として、佐藤竜さんは北海道・札幌市を拠点にした空調設備会社「FUJI工業株式会社」の代表として働いています。
「FUJI工業株式会社の社長がブレイキングダウンでKO勝利しました」といった投稿で、会社としても竜の試合を全力でバックアップしている様子がうかがえます。
格闘技の世界だけを見ると“強気キャラ”が目立ちますが、実際には札幌の街でエアコン工事をこなしながら、従業員や顧客の生活を支える経営者でもあります。
リングと現場のどちらでも体を張っている姿がSNS越しに伝わるからこそ、「社長ファイター」としてのストーリーに惹かれるファンも少なくありません。
佐藤竜の兄(三男)の仕事や職種は内装業だった!彼の逝去後にFUJI工業株式会社を継承!

最後に、FUJI工業株式会社と“兄の存在”の関係について整理します。
やるべしたら竜の会社経営には、「兄が始めようとしていた事業を引き継ぐ」という強い思いが込められています。
▼少年時代の佐藤竜さんと兄(三男)の亮さん▼

- 4人兄弟の構成:竜さんは4人兄弟の末っ子で、三男の兄とは年齢が近く、特に行動を共にすることが多かった。
- 兄の仕事:三男の兄は内装業・土木業に携わっており、「一緒に会社をやろう」と竜さんを呼び戻し、北海道で事業をスタートさせた。
- 事業の立ち上げ:二人で内装・土木の会社を立ち上げ、現場作業から営業まで力を合わせて取り組んでいたところ、仕事は軌道に乗り始めていた。
- 兄の急な別離:順調に進んでいた中で、兄が警察との重大なトラブルを起こし、若くして逝去する出来事が起こり、竜さんは「兄と一緒に作り上げた会社を無くすのは嫌だ」と強く感じたと語られている。
- 会社継承と業種転換:2017年ごろ、「SSCカンパニー」という名で会社を設立し、「SaTo兄弟Company」の頭文字だと説明したインタビューも。
- その後、事業の中心を内装・土木から空調・電気設備へとシフトし、FUJI工業株式会社として再スタートを切りました。
竜さんにとってFUJI工業は、単に自分のビジネスというだけでなく、「早くに旅立った兄の夢の延長線上にある会社」という意味合いが強いとされています。
だからこそ、ブレイキングダウンに出て知名度が上がることも、「兄と一緒に作った会社の看板をもっと広めたい」「同じ境遇の若い子に希望を見せたい」という思いとセットになって語られているのです。
まとめ|ブレイキングダウン竜の会社はどこ?北海道札幌のFUJI工業で空調設備会社の社長!
今回の記事のポイントをまとめました。
- 佐藤竜(やるべしたら竜)は、推定年齢27歳前後・身長約170cm・体重65kg前後の体格で、4人兄弟の末っ子として北海道で育ったブレイキングダウンファイター。
- 幼少期から、両親ともに子供も激しく厳しく扱う環境の中で過ごし、留置所と家庭との往復を繰り返す荒れた生活を送っていた。
- 15歳の時に留置所のテレビで見た、同年代の平野歩夢選手(スノボ)のメダル獲得の活躍に大きな衝撃を受け、人生を見つめ直す。
- リング外では、北海道札幌市東区を拠点に空調設備や電気工事を行う「FUJI工業株式会社」の代表を務める“社長ファイター”であり、SNSや動画で施工の様子やあいさつ動画も発信している。
- もともと三男の兄と内装・土木の仕事を一緒に始めたが、兄の急逝をきっかけに「兄の夢を守る」決意を固め、業種を空調設備中心に切り替えつつ会社を継承・発展させてきた。
佐藤竜さんの二つの顔を知ることで、ブレイキングダウン竜=やるべしたら竜、という人物が一段と立体的に感じられてくるのではないでしょうか?
ブレイキングダウン「やるべしたら竜」こと佐藤竜さんの、これからの活躍や動向からますます目が離せませんね!
アクシデントによる怪我からの回復を、心より願っております。
最後までご拝読いただき、ありがとうございました。この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。
それではまたお会いしましょう!


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